【体験談】ワーホリ1年目
こんにちは、ゆまです。
今回は私が実際にワーホリをしてみた体験談を書いていきます。
これからオーストラリアにワーホリを考えている方、どんなことができるのか想像できると思います。
私がワーホリを決意するまでの過程はまた別の記事にします。
目次
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ワーホリスタート! 4か月集中! 英語勉強 パース編
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ファームでセカンド取得 所持金3万円!!! ゴールドコースト編
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さてなにをする? 仕事編
1.ワーホリスタート! 4か月集中! 英語勉強 パース編
2014.4
まずはワーホリ開始時の状況ですが、事前に日本で語学学校を決めてから渡豪しました。学校は4か月の一般英語コースで40~50万ほどしたと思います。
高いですよね。幸いなことに、祖父母に学費を援助してもらいました。本当に感謝です。当時22歳、大学を卒業してまっすぐオーストラリアに飛びました。この時、所持金80万ほどです。
事前の調査で、まずは英語力を上げないとどうにもならないと思っていたので、校則の厳しい、日本人の少ない、勉強に集中できる環境が欲しくて、
Navitas English
という学校にしました。
ナビタスは学校にいる間、授業以外でも母国語の使用禁止!見つかった場合はペナルティがある学校です。また、在籍している学生の国籍の割合が、南米、アジア、ヨーロッパの順に多く、日本人とも英語で話したい!と思っていた私にはぴったりの学校でした。
学生も意識の高い人が多く、みんなプライベートでも英語でしゃべるような環境で、私もどんどん慣れていきました。
スタート時の英語力は’Pre-intermediate'=初中級でした。
そこから4か月で'Advance'=上級までいくのに、死ぬ気で勉強した話はこちらの記事で。
↓
Grammar と Writing はまあまあついていけたのですが、問題は Listening と Speaking
でした。
最初の一か月くらいわからないなりに必死に勉強していた結果、ゆっくり話してもらえば聞き取れる、わからない単語もいっぱいだけど、Yes/No がやっと伝えられるくらいでした。
でも、まだまだ。どうしてそう思うかなんて伝えられない。授業中にわからないことがあってもわからないまま。だって質問できないんですもん。
そうして始めたのが ”自分の単語帳づくり+100回見直し” です。
2か月たつ頃には授業中に質問したり、友達と意見交換したり、普通のスピードで話されてもすんなり聞こえるようになりました。そして、intermediate=中級 に進級しました。
3か月経つころには生活にも完全になれ、余裕が出てきました。ホストマザーと放課後にずーっと話してスピーキング、一緒にテレビ見ながらリスニング。Upper-intermediate=上中級 に進級できました。
本当に英語漬けでした。
4か月でついにAdvance に進級。古文や演劇、経済記事やプレゼンなどの経験を得て、自信満々で卒業しました。この時点で所持金20万ほど。
2.ファームでセカンド取得 所持金3万円!!! ゴールドコースト編
2014.7
学校が終わったらすぐファームに行くと決めていました。2年目のワーホリも絶対取りたい!と思っていたからです。
いろいろな場所を検討しましたが、なんせ身一つで見知らぬ地域に移動、仕事探しが本当にできるのだろうかと不安でした。
そのとき目に留まったのが、友達のFacebookの投稿です。
その方はブリスベンから2時間ほどバスで内陸に行ったところにあるガトン(Gatton)というところで日雇いのファームの仕事をしていました。内容は、レタスの収穫やブロッコリーニという野菜を洗い、ゴムで束ねるというような単純作業+重労働です。
さっそくその人に連絡すると、仕事いっぱいあるよ!とのこと。
迷わず向かいました。
ガトンでは、コンテナハウス(トイレシャワーなし)の2人部屋で、1か月ほど過ごしました。近くにスーパーがなく、1時間かけて歩いて買い出しに行っていました。たまに車を持っている友達に乗せてもらい、周辺のマーケットに行き、必要なものを買っていました。
そこでは周辺のファームのオーナーの電話番号が表になっており、毎回連絡して仕事をゲットするという感じです。
オーナーと仕事の人気度、親切さなどはその友達が教えてくれました。約1か月の滞在期間中、2~3回ほど違う仕事をしてみて、あまり安定した収入もなく、
”なんかちがう”
と感じた私は、次の手段を考えます。所持金3万円!!
当時 ”WWOOF(ウーフ)” と呼ばれるボランティア活動でもセカンドワーホリビザが取得できたため、もうお金はいいやと諦め、母に日本の銀行口座にあった10万円を送金してもらい、何とか生きていました。
WWOOFで見つけたよさそうな場所 ”Natural bridge"(ナチュラルブリッジ)。そこでは住宅費、食費をタダにする代わりに、農作業などを手伝ってほしいという人のために働きました。何でもしました。
- 有機野菜の水やり
- 苗木の植え替え
- 毎朝の卵の回収
- 肉牛の放牧
- 昼食、夕飯の支度
- 施設の掃除
- 子どもの世話
- その他雑用
ほかにも2~4人ほど同じように働く人がいて、国籍も豊かでとても楽しかったです。私は日本で幼児教育の大学を卒業していたので、子どもの世話はとても信頼され、楽しめたのを強く覚えています。
ナチュラルブリッジでの生活はまた今度記事にします。
そこで約90日間を過ごし、セカンドの取得条件を獲得しました。
3.さてなにをする? 仕事編
2014.11
無事セカンドの取得条件を満たした私。
さてこれから何をしよう・・・?
とりあえず”Coolangatta(クーランガッタ)"というゴールドコースト空港がある街にやってきました。バックパッカーで一週間ほど滞在している間に仕事探しをしてみようと考えていました。
・・・が、あるのは日本食レストランの安い時給+長時間の仕事か、そのたレストランのウェイトレス。
ローカルの求人を見てもやれる仕事が見つからず、切り替えて”Surfers Paradise(サーファーズパラダイス)"に移動します。また1~2週間ほどバッパーで寝泊まりし、仕事と住むところを獲得。一軒家を個室に改造したマッサージ店で住み込みで働き始めました。
このころに現在のパートナーと出会います。(その話はまた書きます。)
2015.4
一年目のワーホリ終了です。
プライベートも仕事も落ち着いた一年目の終わり。私のワーホリ生活はまだまだ続きます!