幸福と殺人
こんにちは、ゆまです。
幸せって何だろうと考えた時、なんとなく思いつくことがあります。
- お金、財産
- 家族
- 自由な時間
- 食
- 健康
- 仕事・勉強・成長
もちろん人によって幸せは違うだろうし、年齢やその人の人生のステージによっても変わるだろうと思いますが、この辺がメジャーなものではないでしょうか。
幸せ⁼満たされている、安心する、前向きな気持ち
と定義すると、私はどうしても思うことがあります。
- いじめ、いやがらせ
- 暴力
- 殺害
- 自殺
これらは幸せとはかけ離れた言葉のように思えて、実は、幸せと隣り合わせなんじゃないかと思います。
相手(または自分)を傷つけることで自分を満たし、安心する人っていませんか。
自殺した後の自分の幸せを信じて死んでいく人がいる気がしてなりません。
末期の病気でただ痛みに何年も耐えなければならない人や、何らかの理由で生きていることがつらくて耐えられなくて、自ら死を選ぶのはその先の自分の幸せを望んでいるからではないですか?
ここでは、だから自殺していいということが言いたいのではなく、自分(または周りの人)の幸せを願って死を選ぶこともあるという事実が、私の心に長年引っかかっている疑問なのです。
それも一つの幸せ?
日野OL不倫放火殺人事件のように、不倫相手と一緒になりたかったのにうまくいかず、逆恨みした挙句に相手の家族を傷つけ壊すことだけを考えて、復習したらすっきりした。満たされた。という気持ちは”幸せ”でしょうか。
倫理的に間違っている、正常な精神状態ではなかった
というのは、ごもっともだと思いますし、私もそう思うのですが、そのOLの感じた”幸せ”も、幸せなのでは、と思ってしまうのです。
自分の望みが叶う=幸せ
したかったことができたら幸せですよね。恨んでいる人を殺す=幸せって方程式ができませんか。
殺人までいかなくても、調子に乗っている人が失敗したら、”ざまあみろ”って思う気持ちを紐解いていくと、相手が落ち込んだり、傷ついているのを知ってすっきりする、心のどこかで失敗したらいいのに、と望んでいたことになりません?
こんなことを言うと、それは間違っている、倫理に反するといわれることが目に見えますが、本人からすると、それは本当で正しい気持ちだし、倫理ってなんでしょう。
私も自分の幸せのために人の幸せを奪うことは間違っていると思います。でも、それは私の幸せの定義であって、ほかの人と必ずしも共有しているとは限りません。
法律で定められているから
倫理に反するから
わかるんです。そうなんです。でも、
戦争で10人殺しても、法律に裁かれることもないですよね。
倫理も明確なルールはないし、全員の倫理は一致しないでしょう。
大量殺人した人に罰を与える。死刑。誰の幸せのため?。
幸福の裏側にぴったり張り付いている負の幸せが見えますか?