【教育】学校って何のために行くの?
こんにちは、ゆまです。
教育ってなんですかね。
ある分野についてたくさん勉強した人が、無知な人のためにその知恵を伝え教えること?
生きていくうえで知っておいた方がいいこと、できたことがいいことを教えること?
みんなが安心して過ごせるようなルールを教えること(しつけること)?
教育の場面って、
- 学校
- 家庭
- 社会
- 自習
に分かれると考えます。
その内容を詳しく書き出すと、
- 学校 教師から生徒へ
- 家庭 親から子へ
- 社会 上司・先輩から後輩へ
- 自習 自分から世界へ
になります。
教育の方向(誰が誰に向かって動くか)に注目すると、自習だけ違います。
学校では教師(玄人)が生徒(素人)に向けて授業をし、家庭では親(玄人)が子(素人)へ教育し、社会では上司(玄人)が後輩(素人)に向けて教育する。
一方自習は、学習者(素人)が世界中の玄人にコンタクトする。
教えられる立場の人が動くのは、自習だけです。
私はここに教育の本質があるのではないかと考えます。
一般的な学校
学校では、自分の向き不向き、興味のあるなしは配慮されず、みんな平等に同じことを教えられます。そして評価される。
このシステムのメリットは、
- 自分の得意・不得意に気づける。
- その教育を受けた人のほどんどが最低限の知識を共有する
- 得意なことについて自信をもつ
デメリットは、
- 不得意分野に自信がなくなる
- 自分の学びのペースに合わない
- 忘れる
だと思います。
その教育を受けた人のほどんどが最低限の知識を共有することで、社会の知的レベルが上がる
私はこれはある程度大切なことだと思います。でもはみ出してしまう人もいます。ある人には簡単すぎて、ある人には難しすぎる。そんな人たちに強制的にやりたくないこと、わからないことを教え続けるのは何の意味があるのでしょうか。
こういう人を見捨てろというのではなく、その人の特性が生かせる分野で勉強すればその人も幸せ、教える人も幸せ、その他の人も幸せなのでは、と考えています。
学校は、やりたいこと・得意なことを見つける場所だと思うんです。興味のあることが見つからない人は広く浅い知識を学校で学べばいい。
やりたいこと、得意なことが見つかった人は、その時点でその道を究める。
インターネットで世界中がつながった現代、一人ひとりの学びに合わせた学習って簡単にできます。それを妨げているのはなんでしょうか。
家庭と社会
家庭で教えることは、生きてく上での基本的なことです。でもその家庭それぞれのやり方があって、正解も不正解もありません。一つの狭い世界に閉じ込められていると、それが当たり前になってしまって、ほかの可能性に気づけなくなります。
一方で愛着など、家庭でしか学べないことがあることも事実です。人間の構造上、この時期が大切な教育期間であることは研究が証明してくれています。
以上のことを踏まえると、家庭教育を大切にしながらも、社会とつながっていることが重要だと思います。家庭教育の偏りを社会教育が補う、という考え方です。
社会はすでに、知らないことのオンパレードです。専門知識がなければわからないことばかりです。でも人間はすでに、わからないことは得意な人に任せて、自分は自分の仕事をして生きていません?それを若いうちから行うことは悪いことなんでしょうか。
日本の義務教育は9年間ですが、そもそも9年も必要ですか?中学は自分の得意不得意をみて、学びたいことに集中すれば、社会も成長、本人も成長。もしほかのことが学びたければ一から始めればいいと思います。
オーストラリアではホームスクール制度があり、学校に行かなくてもOKです。13歳で社会に出て、少しのお金をもらいながら働いています。働きながら必要な知識や技術、コミュニケーション能力を鍛え、18歳になるころにはすでに5年の社会人経験があります。
その社会人経験、たくさんの職種を経験してから、大学に入り、自分が学びたいことや知りたいことを意欲と知識と技術がある段階で学ぶのってすごくアドバンテージがあると思います。自分が知りたいことを勉強するってすごく楽しいんです。
4Gが普及して、世界中ほどんどどこにいてもインターネットで学べる時代。教育に必要なのは、何が学びたいのか、何が得意か、気づきを与えることではないでしょうか。そしてその学びをサポートする。学び方を教えることが教育だと思います。勉強が楽しいことだと教えるのが大人の役目では。
教育=自習のサポート
皆さんはどう思いますか?